某日

気づけないこと

某日

毎日不安になるくらいよく晴れる。

某日

王舟のサポートでバンジョーマンドリン弾く。たのしかった。
寒さが、しん、としてきた

某日

大阪

リハと本番の合間、ハマとマヅルカというカウンターだけのローカルな喫茶店へゆく。僕はけっこう方向音痴らしいし記憶力もない、だから、遠征の際は自分が何処にいるのかなかなか把握出来ないのだが、初めて来るところだなーとか思いながらフラフラ歩いていると、見覚えのある風景に突然出くわしたりして、あっ、と思うこともまぁ、楽しかったりする。
マヅルカには既に以前一人で入ったことがあった。モーニングの時間だったのでほぼ満席だった気がする。常連客の中でひっそり息をひそめて、日常にとけ込もうとすると、ああ遠くにいるけど、ここにも色々な時間が流れているんだなぁと、変に無責任な旅情みたいなものに襲われるものだが、その時は寝不足による胃の痛みに耐えていただけだったようだ。
今回はマスターと数人の客のみの店内、なんとなく夕方のニュースを眺めていると、スポーツポールダンスの特集をしていて、その重力を無視した動きに小声で、おお、とか言っていると、その特集の主役であるらしい、40歳代の女性選手が画面に出て来た。すると突然隣に座っていたひげ面の常連客がボソッと、この人私の同級生です、ええ?まじですか?、さらに続けて、ちなみにもっと言うと初体験の相手でもあります、とつぶやき、淡々と現実を噛み締めているようなその口ぶりが、とても可笑しいんだけど虚しくもあり爆笑が渦を巻いて珈琲色の壁に染まってゆきました


某日

新潟
曇り時々雨
毎回とてもお世話になっている遠藤さんに色々連れて行ってもらう。ツアーの合間にとてもリラックスできた。

三条の方へもゆく。杭州飯店というラーメン屋さん美味かったなあ。。

燕三条といえば、祖母が浅草で銭湯をやっていたというのは前にも書いたけれど、その銭湯に50年近く出稼ぎに来ていた、ショーちゃんというおじいさんが、燕三条付近の農家の人だった。祖父はアルコール中毒で早くに亡くなってしまったというのもあり、僕を本当の孫のように可愛がってくれていて、大好きな人だった。中学生の頃(僕はソフトモヒカンと呼ばれる髪型をしていた..)、夏休みにそのショーちゃんの実家に一週間くらい一人で遊びに行ったことがあった、延々続くと思われるような田園風景の中を自転車で一緒にかけずり回ったり、用水路のどじょうを捕まえて作ってくれた柳川鍋がめちゃくちゃ生臭かったけど我慢して食ったり、田舎だけに大家族なので、親戚の子供たちと一緒にお風呂にはいったり、海に行ったり、とても良い思い出だ。しかし、その銭湯が廃業になり、新潟に帰ってしばらくしたら、露天風呂を自分で作ってしまうくらいパワフルだったショーちゃんもパタリと亡くなってしまった。その後一度、線香をあげにいったきりで、詳しい場所も僕には定かではないけれど、ここ数年新潟に縁があるのはほんとに嬉しいことで、ショーちゃん、新潟のみなさん、いつもありがとう

某日

雪チェーンという表示を見ると、なぜか稲村ジェーン思い出すというのを思い出す